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オタク腐女子のグダグダ日記
Posted by - 2024.11.22,Fri
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Posted by ハシバ - 2008.09.08,Mon
書きかけテキストを放出!
最終更新が2007年3月で止まっていた(…)FF12テキスト。
ウォースラ視点の話です。残念ながら、まったくの序章。序章だけで25KBくらいあって、軽く眩暈がします。
題の『リトル・ノア』は最初、そのまんま『小さなノア』でした。作中で、ダルマスカに来たばかりの頃のバッシュが「ハッピーバースデー」を歌うシーンを入れる予定があり、それで付けたタイトルでした。ディアマイ、リトル・ノア。

未完作品ですが、それでもよろしければどじょー!


過ぎ去りし日々の微笑み。
もう一度やりなおせるとしたら、私たちはそうするだろうか。

思い出は美しい。
けれど、思い出すのは辛すぎる。

――マリリン・バーグマン



<1>

 屈強な男に挟まれ、その男はダウンタウンのアジトに姿を現した。
 『不審な男』。確かに、その男は不審だった。何せ、死んだはずの男――バッシュ・フォン・ローゼンバーグ将軍、その人だったのだから。
 薄暗い地下。かつて武器屋の倉庫として使われていた部屋の中で、連行されてきた男はウォースラの前に引きずり出された。その姿を見て、ウォースラは眉をひそめる。
 伸び放題の髭と髪の毛、砂に塗れて汚れた衣服。しかし、その態を不快に思ったわけではない。
 記憶より、一回りも二回りも痩せ細った体躯。額からこめかみに走る傷痕。
 醜い切り口で眉の上を横切るその傷は、見ているウォースラの胸の内も同じ形で引き攣らせた。
 眉根を寄せるウォースラの目の前で、男は真っ直ぐ立っていた。疑惑と不審の混じった周りからの視線をものともせず、むしろ何も存在しないかのように、ただ真っ直ぐにウォースラを見つめている。
 その双眸。澄んだアザー・ブルー。
 地下にあってなお蒼い、空の色。
 「久しぶりだな、ウォースラ」
 警戒する部下達の目の前で、男は平然とそう言ってのけた。親しみも敵意もない、平坦な声色。しかしそれは、却ってその男とウォースラとの距離の近さを感じさせた。
 部下達は皆、この男の存在に動揺している。処刑されたはずの将軍。国王を暗殺した裏切り者。その男とウォースラが、どのような関係なのか。固唾を飲んで、そのやり取りを見守っている。
 緊張を孕んだ空気がピリピリと肌を刺すようだ。自分は今、試されている。いつになく、そうウォースラは思った。
 「バッシュ、か」
 無愛想なウォースラの言葉に、男は目だけでウォースラを覗った。見慣れた仕草に、ウォースラは心中で舌を打つ。
 「ローゼンバーグ将軍は処刑された」
 男に向かい、吐き捨てるように言った。それすら気に留める様子もなく、男は素直に頷く。
 「わたしもそう聞いている」
 「では、貴様は何者だ?」
 強硬な姿勢を崩さないウォースラに、男はささやかに片眉を上げて見せた。
 「お前は本当に、ローゼンバーグ将軍が暗殺犯だと信じているのか?」
 「『信じる』?」
――どの口がその言葉を!
 怒りの感情がウォースラの腹に渦巻く。肺を焦がし、咽喉を焼く。
 髪にまで燃え移りそうなほどの激情を抑え、努めて穏やかに息をつく。一拍置き、炎が消えたのを確かめてから男を睨みつけた。
 「真実がどうであれ、目の前の現実を受け入れるのが俺のやり方だ。お前は国王暗殺犯として処刑された。なのに、生きている。少なくとも、『処刑された』のは嘘だ。ならば、他の『事実』も嘘である可能性が高い。それだけのことだ!」
 傍らのテーブルの天板をバンと叩く。その音で、部下達がハッと我に返った。素早く数人に目配せし、呼び寄せる。
 「お前ら二人で風呂の準備を。一人はバザーに行ってくれ。すぐに食べられる温かいものを」
 低い声で指示し、男を振り返る。
 「詳しい話を聞かせてもらう。……奥へ」
 顎でドアを示すと、男は静かに頷いた。


 バッシュがラミナス陛下を暗殺したことなど、ウォースラは端から信じていなかった。
 だが、陛下が殺されてしまったことは事実だ。その命が戻ってくることはもうない。守るべきものを守れなかったこと、それは、バッシュのみならずウォースラの責でもある。
 ナルビナ城塞で起きた国王暗殺事件は、最初から仕組まれたものであったのだろう。調印式に乗じ、陛下を暗殺する策動がある――その情報を流したのも、帝国側である可能性が高い。
 ダルマスカの騎士達はその忠心を以って陛下を助けようと駆けつけ、その忠心が故に敵の術中に陥った。
 帝国との調印式の場において、ダルマスカの将軍――しかも忠義の騎士と謳われた英雄――がその手で国王を暗殺したとなれば、国民に与える精神的なダメージは計り知れない。その後、支配下に置かれるダルマスカの騎士達の反抗を抑える意味でも、これ以上に有効な手立てはなかっただろう。
 バッシュが本当に陛下を暗殺したのか。それはウォースラにとって、重要なことではなかった。
 一歩間違えば、ウォースラ自身がその罠に嵌められるところだったのかも知れなかった。しかし、それすら重要なことではなかった。
 誰よりダルマスカを愛していた男の命が、逆賊の汚名によって奪われたこと。その事実が、何よりウォースラを手酷く痛めつけた。
 アルケイディアとの戦争で、ウォースラは幾多の戦友を失った。しかしその誰もが、勇敢なダルマスカの騎士として誇り高く死んでいったのだと信じている。
 バッシュはウォースラの知る限り、誰よりも勇猛で、気高い魂を持った男だった。称えられるべき騎士がこの上ない屈辱を受けて殺されただけでなく、墓を作るどころか、その死を悼むことさえ許されない状況に、ウォースラは臓腑が焦げ付くほどの怒りを覚えた。それは耐え難い痛みだった。
 怒りはそのまま、復讐心へ昇華した。ウォースラは心の底から帝国を憎み、復讐を胸に誓った。
 誇り高き祖国を蹂躙した敵国に、一矢報いてやるのだと。

 そんなウォースラの前に現れたバッシュ。
 どうやって動揺を鎮めればいいのか分からない。バッシュは死んだものとばかり思っていた。
 「生きていたんだな」
 ドアを閉め、二人きりになったのを確認してから、ウォースラは呟いた。肺は煤けて、息は重い。
 バッシュは、少しだけ振り向いてこちらを見ていた。髭に隠れた口許。何か言葉が欲しい、弱気な自分がそう願う。
 「……この二年間、何をしていた?」
 バッシュは穏やかな目でウォースラを見ている。そして一言、「何も」と囁いた。
 「何も?」
 「ただ、生きていた。生き延びた」
 その唇が微笑んだように見えて、ウォースラはたじろぐ。しかし、すぐに目の錯覚だと気付いた。
 微笑んだのは。あの時、微笑んでいたのは。

 厚い雲から落ちる水滴。暗い室内。
 灰色の窓辺に腰掛け、彼は眩しそうに目を細めて、そっと外を眺めていた。
 雨季の空気に曇る窓を拭き取る白い指。薄暗い光に照らされ、青白くさえ見える肌。その横顔。穏やかに微笑んだ口許。
 その唇から紡がれる言葉を、黙って聞くしかなかった。
 あの日のウォースラは、悲しいまでに若かった。

 軽い目眩を覚えて、眉間を押さえる。そんなウォースラをバッシュは見つめている。しっかりしなければならない。まだ倒れるわけにはいかない。
 簡素なテーブルの側、バッシュに椅子を勧めた。その向かいに腰掛け、ウォースラは一息つく。真正面からバッシュを見据える。その瞳の色。労わりも蔑みもない、平素なアザー・ブルー。
――大丈夫だ、俺はまだ立っていられる。
 強く見つめれば、強い光が返ってくる。その瞳に問いかけた。
 「今までどこにいた。何をしに戻ってきた?」
 ウォースラの問いに、バッシュは低い声で「今からすべて話す」と答えた。低いトーンで話せば、彼の声は部屋の外には漏れない。
 「処刑が発表された頃だろう。俺はすぐにナルビナ城塞の地下牢に移された」
 ナルビナ城塞地下牢。ウォースラは耳を疑った。
 ロザリアに対する要塞として、帝国が再建を進めているナルビナ城塞。しかしその地下は、政治犯や不穏分子を収容する牢獄となっている。一度入ったら、死なない限り出てこられない――その言葉通り、不当な拷問や尋問が日々行われていると聞く。実際、帝国の尋問を受けたレックスは一年も経たずに命を落としていた。
 そんな所に、二年も。
 驚愕すると共に、疑念が首をもたげた。
――なぜ、生きている?
 確かに今、目の前にいるバッシュには、かつての『英雄』の面影は見る影もない。しかし、身体や精神に支障を来たしている様子はない。レックスの例を目の当たりにしただけに、バッシュが五体満足でいられることに違和感を覚えた。
 「帝国の『尋問』は苛烈だと聞く。……よく無事でいられたな」
 「生かしておく必要があったんだろう。そういう意味では、厚い待遇だった」
 「帝国が、お前を必要としていたというのか?」
 顎鬚を親指で扱きながら問う。何の気もなく、ただ不思議だとでも言うように装いながら。対するバッシュも、「俺には分からん」と言いながら肩をすくめる。
 「俺の処刑を発表した、オンドール侯爵に対する何らかの牽制があったのかも知れん。だが、それ以上は分からんな」
 果たしてそうだろうか。ウォースラはバッシュの表情を覗う。
 逆賊として捕らえられたバッシュを生かしておくことは、帝国にとって何の利点もない。暗殺の真犯人が彼ではないなら、生かしておくのはむしろ危険なことだ。
 だからこそ、捕らわれてすぐ為されたローゼンバーグ将軍の処刑を、ウォースラは信じたのだ。
 しかしバッシュは生きていた。生かされていた。捕らえておくだけなら、処刑の発表は要らなかったはずだ。
 帝国が、バッシュを暗殺犯に仕立て上げてまで捕らえた理由。処刑を発表しながら、生かした理由。二年間、匿っていた理由。
 バッシュが今、ここにいる理由。
 ウォースラはバッシュを真正面から見据える。
 「どうやってあの牢獄から抜け出した?」
 「他の脱獄者に同行させてもらったんだ。幸運だった」
 「もしくは、不運か」
 忌々しく吐き捨てた言葉は、ウォースラの本心だった。
 バッシュの言うことの全てが嘘だとは思わない。しかし、あまりにもタイミングが良すぎる。
 執政官就任式。千載一遇の好機と蜂起した解放軍だったが、全てをヴェインに見抜かれていた。結果、むざむざと『アマリア』を敵の手中へ引き渡すことになってしまったのだ。
 アマリアの正体を知っているのはウォースラだけだ。彼女が帝国に捕らわれたことが何を意味するのか、知っているのはウォースラだけなのだ。
 満を持して仕掛けたはずの奇襲攻撃が失敗し、解放軍の結束は乱れつつある。新たな策を打ち立てようにも、先の見通しがまるで立たない状況に士気は下がる一方だ。
 そこに現れた、バッシュ。
 バッシュの言うとおり、彼がナルビナの地下牢から脱獄したのであれば、帝国軍は血眼で彼を捜しているはずだ。少なくはない労力を払って捕らえ、リスクを負ってまで生かしながら、そう易々と彼を手放すとは思えない。
 もしくは、彼を生かしたまま解放したことにこそ真意がある。そう思わざるを得ない。
 暗殺犯として処刑されたはずの人間が生きていた――そうなれば、こちらは彼を野放しにしておくわけにはいかない。否が応にもその人物と接触し、正体を質そうとするだろう。実際に、ウォースラはバッシュをアジトに招き入れてしまっている。
 帝国は、それを狙っているのかも知れない。
 バッシュが帝国と通じているとは思わない。彼は、帝国が何を考えているのか、本当に知らないのかも知れない。だが、彼が帝国の思惑に乗せられていないとは、誰が言えるだろう。
 バッシュが今、ここにいる事実。
 思わぬ危機が、身近まで迫っている可能性。その手触りの冷たさに、ぞろりと悪寒が走った。
 きつく寄った眉根に手を当てる。視界の端に、バッシュが薄く微笑むのが見えた。
 「……俺は、招かれざる客のようだな」
 ぽつりと落ちたバッシュの呟き。責めるわけでも、嘆くわけでもない声色。
 ウォースラは倦んだように目を閉じる。
 分かっている。分かっていることだ。
 バッシュの死を納得したことなど一度もない。生きていてくれたなら、そう思う度、後悔と自責の念ばかりが膨らんだ。
 しかし、実際に生きている姿を見たとき。この胸を支配したのは、喜びではなかった。戸惑いと疑念と動揺。ただ一言、「面倒なことになった」と思った自分がいる。
 友が生きて帰ってきたのに、それを心から喜ぶことのできなかった自分。
 なんて浅ましい人間に成り果ててしまったのか。そう嘆くのと同時に、こうあるべきだとも思う。
 一時の情に流され、大義を見失うわけにはいかない。失うものがなかった若い頃とは、話が違う。ウォースラには守るべきものがある。取り戻さなければならないものがある。
 そのために、捨てなければならないものがある。
 「最後にひとつだけ聞かせてくれ」
 絞り出すようにかけた言葉。
 「お前は、陛下を殺した人物を知っているのか」
 「ああ、知っている」
 「誰だ」
 瞬間、バッシュの視線がウォースラを刺した。その瞳が灯りを反射して光る。
 「私の弟だ」
 バッシュの言葉に目を見張る。視線の先、バッシュは正面からウォースラを見据えている。その双眸。底光りするかのような、蒼。
 「私の、双子の弟。……ノアだ」
――ノア。
 バッシュの弟。
 ちいさな、ノア。




<2>

 バッシュ・フォン・ローゼンバーグ。
 出会う前から、その名は聞き及んでいた。二ヶ月ほど前に入隊してきた、移民部隊の一員だ。
 ウォースラは、彼と面識があったわけではない。そもそもダルマスカ騎士団の移民部隊は『部隊』という名こそ冠しているものの、その実、騎士団とは一線を画している。
 戦乱の時勢、国を追われてラバナスタ入りする移民は後を絶たない。異邦の地で、拠り所や後ろ盾を持たない若者は犯罪に走りやすく、難民を積極的に受け入れてきたダルマスカの頭痛の種でもあった。捕らえられたとしても、釈放された後で窃盗や強盗を繰り返す者は少なくなく、移民部隊はそういった若者の更生施設を兼ねていた。
 自ら志願して入隊する者もいるが、隊員の半数以上が兵役を終えた後に除隊していく。騎士団に属していたという経歴は、彼らのこれからの生活の大きな後ろ盾となるからだ。
 そのような経緯もあり、移民部隊の兵舎や訓練場は、通常の兵士のものとは隔てられていた。
 だからといって、そう遠くに配置されているわけではない。同じ敷地内ではあるから、階上から臨めば、容易にその訓練風景を覗うことはできた。
 三大陸の交わる貿易の要所とてして栄えてきたラバナスタは、様々な種族と民族が入り乱れている。従って民族間の混血が進み、気候のせいもあってか、ラバナスタは褐色の肌を持ったヒュムが多かった。
 その年の移民部隊は色の白いヒュムが目に付いた。アルケイディア帝国がランディス共和国を侵攻したこともあり、その周辺の北部地域の人間が難民として流れ込んできたせいもあったのだろう。
 その中で、バッシュは特に目立つ風貌をしていたわけではなかった。白い肌に金色の髪。多民族国家であるダルマスカにおいて、それは決して珍しいものではない。
 しかし彼は、誰より人目を惹いた。
 秀でた人物は群れの中にあってこそ、その素質を見せつけるものだ。その姿勢、立ち振る舞い。幾多の若者の中で、彼は既に一人の『騎士』だった。
 兵士達の間で彼はすぐに噂になった。なにせ、他の若者とは体の動きがまるで違うのだ。若く未熟な兵士でさえ、見ればその違いがはっきりと分かった。勿体ない、そう呟く声を聞いたのは一度や二度ではない。
 ウォースラ自身も、その姿を見かけたことは何度もある。
 二人組みで互いに剣を打ち込む訓練。彼の相方は明らかに腕不足で、遠くから見ても、彼が細心の注意を払って手加減しているのが分かった。その姿に、狭い籠に押し込められた鳥を見るような感情を覚えたものだ。
 だから初めて間近で彼を見たとき、その容姿にウォースラは驚かされた。
 ウォースラより年下であることは聞いていた。しかし目の前に現れたのは、まだ腕も脚も細いままの少年だったのだ。
 「バッシュ・フォン・ローゼンバーグです。はじめまして」
 白い手と共に差し出される、少年の声。握った手の平。剣を握るものの常としてその皮は硬く鍛えられていたものの、肉付きは薄く、肌は湧き水のようにひやりと冷たかった。
 驚きに促されるまま少年の顔を見つめると、じっと見つめ返される。その双眸。浅く、落ち着いた色のブルー。薄く綻び、微笑んでいるようにも見える唇。真っ直ぐな視線。
 赤ん坊のような躊躇いのない眼差しに居心地の悪さを感じて、ウォースラは眉を顰めた。
 「……なにか?」
 視線を逸らそうともしない彼に尋ねると、彼は無邪気に破顔してこう言った。
 「ダルマスカは、よい国ですね」
 的の外れた子供じみた返答に、ウォースラは少なからず落胆させられた。
 訓練用サーベルを振るう、その姿。白鷺を思わせる、軽やかな振る舞い。湖面に舞い降りるかのようなそれを、遠く、兵舎の窓から眺めるしかなかった自分。
 彼の素晴らしさを微塵も理解できていないだろう、彼の周りの兵士が嫉ましくて仕方なかった。あの場所にいるのが自分なら、そう思うと歯痒くて堪らなかった。
 バッシュ・フォン・ローゼンバーグが正規部隊に転属される――これほど、ウォースラを喜ばせたニュースが今まであっただろうか。
 ダルマスカ騎士団の団長は、代々アズラス家の人間が務めている。この時ばかりは、身内のコネを使うことにウォースラは躊躇わなかった。噂の兵士をこの目で確かめたい――そう伝えれば、彼と歳が近かったこともあり、ウォースラの要望はすんなりと通った。
 彼を間近で見たい、知り合いになりたいと思っていた兵士は少なくなかっただろう。そいつらを差し置いて、一足先に挨拶を交わすことが出来る。ウォースラはその幸運に、心を躍らせていた。
 しかし、実物を目の前にして。
 想像とはまるで違う姿に、ウォースラは天を仰ぎたくなった。
 赤ん坊のようにふにゃふにゃと笑っている目の前の男が、本当に、自分が思い焦がれた剣術の持ち主なのか?


 『最悪』な印象で終わった初対面から一週間、ウォースラはバッシュと顔を合わせていなかった。
 機会がなかったといえばそれまでだが、ウォースラ自身がバッシュという人間に興味を失ってしまったせいもあったのだろう。
 こちらが勝手に期待して、勝手に幻滅したなんて身勝手にも程がある。もしこれが逆の立場であったなら、ウォースラは徹底的に相手を軽蔑しただろう。そういう自覚があっただけ、ウォースラはなるべく彼と顔を合わせないようにしていた。
 しかしウォースラがそんな気を配る必要もなく、彼はいつも人の輪の中心にいた。移民部隊にいた時分から有名人であった彼は、同年代の兵士から手厚い歓迎を受け、少々戸惑っているようにも見えた。しかし、元々社交的であるらしい彼は、すぐその環境にも慣れたようだった。
 新しい友人に囲まれている彼を見るにつけ、ウォースラの心には一抹の寂しさが過ぎった。

<中略>

 ウォースラの姿を見止めた彼は、少し驚いたかのように目を丸くした。
 「ウォースラ?」
 ファーストネームを呼ばれ、たじろぐ。同時に、一度しか会ったことのない自分の名を覚えていたことに驚く。
 バッシュは犬が水滴を払うように頭を振った後、乱れた髪を後ろに撫で付けウォースラへと近付いた。見ると、滴るほど汗をかいている。
 「汗だくじゃないか」
 「うん、ラバナスタは暑い」
 にこりと微笑んで、バッシュは手の甲で汗を拭った。そういう意味じゃない、言いかけた言葉を飲み込んで、近く、木の枝にかけてあった彼のものらしいタオルを手に取る。
 「早く拭いたほうがいい。日暮れの汗は、体を冷やす」
 その言葉にひとつ頷き、バッシュは着ていた木綿のシャツを脱ぐと、それでぐいぐいと体を拭った。その上半身を間近で見て驚く。
 一見して、その体は細い。あどけない表情とその肢体から、彼はまだ成育しきっていない少年を思わせた。しかし、腕や肩、胸から腹にかけて、硬く絞られた縒り糸のような筋肉が巻き付いている。
 無駄をすべて削ぎ落としたような、荒々しい体。
 一瞬にしてウォースラは理解した。
 兵舎の窓から遠く思い焦がれた、水面に舞い降りる一羽の白鷺。
 あの剣士が、目の前にいる。
 立ち尽くすウォースラに、その手が差し伸べられる。白い指先と、赤みの差した手のひら。誘われるまま、その手を取ろうとしている自分に気付いて、ウォースラは声を上げそうになった。
 違う、そうじゃない。これは、ウォースラが手にしたタオルを求めての動作だ。
 寸でのところで堪えられたと、ウォースラは心の内でそっと胸を撫で下ろした。
――堪えた?
 一体自分は、何をどう堪えたと言うのだろう?
 「ありがとう」
 ウォースラの心情を知らずか、バッシュは素直にタオルを受け取り、それを肩にかけた。まだ汗が残っているのか、端で首筋を拭っている。その仕草と、生成り色のタオルに両肩を包まれた姿は、まるで頼りない子供のように見えた。
 「ウォースラは優しいな」
 言われ、思わず目を丸くする。何を言われているのか、意味が分からなかった。
 「ラバナスタの人たちは、みんな優しい」
 そう言い、バッシュは微笑む。ああ、そういうことか。ウォースラは安堵と共に落胆の息を漏らす。
 彼はこちらが心配するほど、幼くも、弱くもないのだろう。その外見とは裏腹に。
 「気をつけろ。優しい人間がすべて、良い心を持っているとは限らないぞ」
 「ウォースラも?」
 片眉をわずかに持ち上げ、バッシュは悪戯っぽく目を細めた。
 「俺だって、良い心ばかりじゃない」
 半ば自嘲的に呟くと、バッシュは破顔した。
 「ウォースラは正直者だな」
 兵舎の壁に背を預け、バッシュは心なし首を傾げて言う。
 「俺も、良い心ばかりじゃいられない」
 転属されてから間もない。すぐ環境に適応したように見える彼だが、見えないところでは色んな軋轢があるのかも知れない。ウォースラは彼の隣の壁に寄りかかる。
 「何か、あったのか?」
 問い質すのではなく、努めて軽い口調で尋ねる。バッシュは質問の意味が分からないように、首を傾げている。
 「こんなところで一人で残って、何をしてたんだ? 罰でも受けて居残りか?」
 「ああ、そういうことか」
 あはは、と声を上げてバッシュが笑う。可笑しなことを言っただろうかとウォースラが訝しむと、違う違う、とバッシュは手を振って見せた。
 「剣が重いんだ。使いこなせるように、練習してた」
 そう言い、先ほどまでいた木立に駆け寄り、立て掛けていたらしい剣を手に取る。それは練習用の剣で、刃は潰してあるものの、材質も形状も実際の剣と同じ作りのものだった。
 「今まで細身の剣しか使ったことがないんだ」
 言いながら、バッシュはその剣をひゅるりと振るった。剣先が鋭く八の字を描き、ぴたりと水平に止まる。
 「ほら、ぶれる」
 バッシュの言葉どおり、わずかではあったが、重さのために彼の腕は震えていた。
 「そう焦ることでもないんじゃないか?」
 言うと、うん、とバッシュは頷く。
 「教官にも窘められた」
 「『焦りすぎ』だって?」
 「うん、そんなところ」
 剣をまた木の幹に立てかけ、バッシュは口元に笑みを浮かべた。しかしその表情には、悔しさがにじんでいた。
 武器を思うように扱えないことの苛立ち、憤り。
 柔和な顔をして、とんでもなく負けず嫌いな男かも知れない。ウォースラはバッシュへの認識を新たに彼を見た。


<未完>
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